世界的に知られる
イタリアのビエラやプラートに並ぶ
世界三大ウール産地「尾州」。
なぜ尾州が織物産地となったのか。
尾州の歴史を掘り下げます。
奈良時代から続く歴史
愛知県の北西部に位置する尾州産地。
尾州産地は昔から織物生産が
盛んにおこなわれてきましたが
これは木曽川の豊かな水と肥沃で
温暖な濃尾平野の恩恵があったからです。
尾州の織物生産はは奈良時代以降から
継承され続けています。
奈良時代以降は麻織物、絹織物、綿織物、
毛織物等素材を変えながら
織物産地として発展していきました。
しかし、第一次世界大戦が勃発し
明治時代から輸入していた
毛織物が全く途絶えてしまいます。
そこで国産品が愛用されるようになったため
尾州が毛糸を用いて織った和服用織物の
全国的な生産地として名声を博しました。
こうして、綿・絹織物から
毛織物への転換が成立していき
尾州地方の毛糸を用いて織った和服用織物の生産は
僅か5年間で20倍に激増し
全国生産の約70%を占めるに至りました。
大正期以降も洋服地用の毛織物の
研究・生産に取り組み始め
昭和60年代前半、天然繊維ブームや
婦人子供服の普及により
毛織物の生産量が更に増大しました。
2005年にはパリのルーヴル美術館で
展示会を開催したりなど
「分業により培われた高い技術力ときめ細やかさで多種多様な生地を起用に生み出す」という
尾州の特徴を現在も世界に発信し続けているのです。
これからの尾州
長い歴史と素晴らしい技術を
作り上げてきた尾州ですが
課題も多くあります。
景気の低迷に加え、イタリア、中国製品との
競合により厳しい状況を迎えています。
また、尾州の毛織物を支える
職人の高齢化が進み、後継者不足も
深刻な課題となっています
尾州の技術は
海外で簡単に真似できるものではなく
日本が世界に誇れる技術です。
この技術を失わないためにも
アパレルや小売りに関わる人たち
そして消費者に尾州の技術や魅力を
伝えていかなければなりません。
それがこれからの尾州の
最も大きな課題になっていくでしょう。
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